Interview
#62

女流棋士で、大学生
戦う20歳が見据える
タイトル戦と、その先の未来

野原 未蘭さんMIRAN NOHARA

女流棋士、大学3年生

2003年生まれ、富山県富山市出身。女流初段。法政大学キャリアデザイン学部に在学中。父の影響で5歳から将棋を始める。アマチュア時代には、女流アマ名人戦3連覇、中学生名人など数々の成績を挙げた。2020年、倉敷藤花戦にアマチュアとして出場し、ベスト8に進出。規定により女流2級の資格を得て、同年、プロデビュー。それまで元奨励会三段・鈴木英春氏に師事してきたが、プロ入りとともに森内俊之九段に弟子入り。
https://x.com/200308milan

20歳の女流棋士、野原未蘭さん。中学生名人戦で女子初の優勝を果たし、16歳で「名人戦クラス」で大会史上初の女流アマ名人戦3連覇を達成するなど、アマチュア時代から輝かしい成績を挙げていました。現在は勝負の世界に身を置きながら、大学でも学ぶ忙しい日々を送っています。自身のキャリアや、棋界の未来、女流棋界の存在意義など、さまざまな視点から思いを巡らせ、夢を描く野原さんの「くらし、たのしく。」に迫ります。

将棋には「もういいや」が
来なかった

「将棋に出会った時のことはあまり覚えてないのですが、父からルールを教わって対戦した時、純粋に楽しかったんですよね。そのゲーム性にのめり込んでいったんだと思います」

そう振り返る野原未蘭さん。現代の子どもの遊びとして、将棋はなかなか選択肢に上がらないような気もしますが、同年代の友人たちとのギャップは感じなかったのでしょうか?

「将棋だけじゃなくて、いろんな習い事をさせてもらってました。将棋はその一つとして、週に一回通っていたという感じ。友達と毎日遊んでましたし、ゲームもやってました。幼稚園から小学校高学年くらいまで水泳もやっていて」

水泳を辞めた時、将棋は県代表レベルになっていました。

「水泳はすべての泳ぎをマスターできたこともあって辞めましたが、将棋にはそれがなかった。父がうまく誘導していたんだと思いますが(笑)。将棋を続けたかったというよりは、辞めたいと思わなかった、というイメージです。負けると悔しくて嫌になることもあったけど、翌日にはもう指していた。何が他の競技と違ったのか、うまく言語化できないのですが」

野原 未蘭さんイメージ

「やっぱり、辞めていないのは
楽しいから」

女流棋士になりたい、という夢は掲げつつも、「小さい子が『野球選手になりたい』と言うような感じだった」と語る野原さん。その目標に現実味が出てきたのは、中学1年生、女子アマ王位戦で優勝し、女性アマチュアのトップに立ってからのこと。

「大会で女流棋士の方にお会いする機会も多くなったり、中学校の全国大会で仲良くなった子が本気で女流棋士を目指す姿を見るようになったりして、これまで遠かった世界が身近になりました。私もなれるかもしれない、いや、ならないといけない、と思うようになって」
女流棋士になるまではあまり挫折らしい挫折を経験してこなかった、と振り返りますが、今身を置くプロの世界はとてもシビア。勝率を上げ、タイトル獲得を目標に研鑽を積んでいます。
「未知の局面を目の前にした時や、相当いい将棋を指せて勝った時にはアドレナリンが出ている感じがある。やっぱり、辞めていないのは楽しいからだと思うんですよ。でも、プロになってからは『負けられない』『ここを落としたら今年の棋戦が終わる』というプレッシャーも増したので、いつもその間でせめぎ合っているような感じがあります」

野原 未蘭さんイメージ
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女流棋士の自分と、
大学生の自分

過酷な勝負の世界に身を置きながらも、平日は大学に通い、忙しい日々を送っています。三年次に進級した今は、ビジネス領域を専攻しマーケティングのゼミに入っているとか。両立の大変さが偲ばれます。

「出席日数が大事な講義だと、対局との重なりの調整が大変なんです。大学に通っている女流棋士と話をすると『みんな、四年で卒業しようね』と励まし合っています(笑)」

将棋一本に道を絞り、大学に進学しない女流棋士もいる中、野原さんは大学に通うことで助けられていると言います。
「一人で上京しているので、頼れる存在が大学にいるのがありがたい。対局に負けても、翌日になると大学があって課題をやらないといけないので、落ち込んでいる暇もないんです。友人とよくご飯に行きますし、一年に1回か2回は、なんとか時間を作って一緒に旅行にも行きます。『明日対局なんだよね』と言ったら『へぇ、そうなんだ』くらいの反応でいてくれるのが心地いいです」

オンとオフの切り替えが上手なのでは? と聞いてみると、「どうでしょう、私、基本的に寝たらなんでも忘れちゃうんです」と苦笑い。

「記憶力もそんなに良くなくて、たまに怒られるんですけど(笑)。マイペースっていうか、楽観的というか、もし落ち込んでたら相当溜まってるんだな、という感じです」

野原 未蘭さんイメージ

女流棋士発足50周年という
節目の2024年

今年2024年は、女流棋士制度発足から50周年を迎える大事な年。野原さんは「女流棋士発足50周年記念パーティー」の実行委員も任されており、その準備にも奔走しています。女流棋士のパイオニア、蛸島彰子さんの話題になると、野原さんは「50年って改めてすごい数字」としみじみ。

今、将棋界には棋士と女流棋士のための2つのプロ制度があります。棋士になるためには奨励会で段位を上げる方法と、編入試験を受けるという方法がありますが、棋士になった女性は歴史上一人もいません。そして、奨励会は9割以上が男性という世界。
「女流棋界の層が厚くなり、レベルが上がっている中、女性の棋士はいつか誕生すると思っています。でも、私が棋士になりたいかと問われると、実力の面で現実的ではないということに加え、じゃあ『女流棋士』の存在意義は? 女性の棋士とどう違うのか? という矛盾も気になってしまう」

また、奨励会に入会する女性が減っており、一方若くして女流棋士になる人が増えているとも野原さんは指摘します。

「女流棋士がいい仕事だから棋士になる必要はない、という流れになるなら、それはそれでいいと思うんです。大切なのは、女流棋士が誇りを持って働けること。女流棋士の存在意義はなんだろうと、まだ、自分の中でも明確になっていなくて。こうしてぐるぐる考えているのは私だけなのかも。わからないです、同世代の女流棋士と顔を合わせれば、将棋の話しかしないので(笑)」

野原 未蘭さんイメージ

自分自身の戦いと、
将棋界の未来と

大学でマーケティングを学んでいるのは、いずれ将棋界のさらなる発展に貢献したい、という思いがあるからだそうです。

「今、棋界ではみなさんそれぞれの形で普及に携わっていて、指導に尽力されている方もいます。でも、私は感覚派だからなのか、教えるのが苦手で、どちらかというと新しい企画を考える方が好き。棋界の魅力を新しい層に届けるにはどうしたらいいか、考えています。私は大の野球ファンなのですが、やっぱり野球はすごいです! 家庭で野球の話が普通に出るんですからね。将棋もそうなったらいいですよね」

自分自身の女流棋士としての戦いに向き合うのとはまた違う視野で、将棋界全体の未来に思いを馳せています。

「女流棋士としてタイトルを取りたいという夢はもちろん大きいです。でも、取ったらそこで終わってしまう気もしていて。自分の性格的にも、目標がふわっとしているとモチベーションが維持できないので、『将棋界を良くするために貢献する』という、あえてどこまで行っても達成できないような壮大な目標は持っておきたいと思ってます」

野原 未蘭さんイメージ
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野原 未蘭 Everything Has A Story
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