Interview
#32

未来を生きる子どもたちに
森のあるくらしを残したい
100年先を見据えた
森林づくりへの挑戦

水谷 伸吉さんSHINKICHI MIZUTANI

一般社団法人more trees 事務局長

1978年、東京都生まれ。慶応義塾大学経済学部を卒業後、株式会社クボタに入社し、環境プラント部門に従事。2003年にNPO団体に転職し、インドネシアでの植林を軸に熱帯雨林の再生に取り組む。2007年、坂本龍一氏の呼びかけによる森林保全団体「more trees」の立ち上げに伴い、活動に参画。以来、事務局長として日本各地での森づくり、国産材プロダクトのプロデュース、熱帯雨林の再生、カーボン・オフセットなど多彩な活動を手掛けている。
https://www.more-trees.org

〝森〟と聞くと、美しい景観や森林浴の心地よさなどをイメージする人が多いかもしれません。でも実は土砂災害や洪水の防止、CO2の吸収、水や生物多様性の循環を育むなど、私たちの生活を支える大切な働きがあります。そんな健やかな森を守り育てるため活動する、森林保全団体「more trees」で事務局長を務めるのが水谷伸吉さん。人生を突き動かしてきた地球環境への高い関心と思い、そして、目指す未来の〝森とともにあるくらし〟について伺いました。

森林活動の原点は
ボルネオで見た熱帯雨林

水谷さんが環境に意識を向け始めたのは、なんと小学6年生のとき。通っていた塾の授業で、大気汚染や地球温暖化、石油の枯渇、海面上昇などの状況を知り、衝撃を覚えたと言います。

「子どもながらに『このままだとやばいじゃん!』って思ったのを今でも覚えてますね。それで何かアクションを起こしたわけではないけど、中学生、高校生になっても漠然と環境問題に対する意識はあって。なので、自ずと大学進学の際は環境について学べる学部を選びました」

就職活動も環境を軸に動き、環境プラント事業を手がける株式会社クボタへの内定を獲得。そんな大学4年の夏、水谷さんにとって現在の森林保全活動の原点ともいえる体験がありました。日本のNGO団体が企画したマレーシア・ボルネオ島で植林ボランティアを行う1カ月間のスタディツアーへの参加です。
「アジア最大の熱帯雨林はどれだけうっそうとしたジャングルのような場所なのだろうと、イメージ膨らませて現地に向かったんです。でも、実際目にしたのは木々が伐採されたはげ山や、太い丸太がトレーラーいっぱいに積まれて運ばれる様子でした。当時の僕は『熱帯雨林を伐採するのは悪だ』という信念を持っていたので、ショックでしたね」

しかし、ツアーの一環で見学した現地の製材工場がきっかけで、水谷さんはその考え方が変わりました。

「そこは、丸太を板に加工して、主に日本などへ輸出している工場でした。それをなりわいにしている人たちやそのご家族の姿を見て、木を使う側の先進国が頭ごなしに『木を切るな』と叫ぶのは、違うんじゃないかと思ったんです。それ以来、森林の伐採は経済と切り離せないし、そもそも木を切らずに生活を成り立たせるにはどんな方法があるだろうと、考えるようになりました」

水谷 伸吉さんイメージ

視野が広がった、
音楽家・坂本龍一氏との出会い

社会人になってからも、ふとしたときにボルネオ島での経験が頭をよぎり、日に日に森林保全への思いを強くしていった水谷さん。新卒で入社したクボタで4年間働いたのち、日本のNPO団体に転職し、インドネシアでの熱帯雨林再生事業に取り組み始めます。

「植林するための資金集めをメインに、年に数回インドネシアに行って現地スタッフと植林の状況を確かめたり、日本のスポンサー企業の方々をアテンドしたりしていました。そのときに知り合った広告代理店の方が、『坂本龍一さんが森林保全に関心を持っているから、一度会ってみない?』と、声をかけてくれたんです」
実際に坂本さんに会い、意気投合した水谷さんは、2007年、坂本さんが立ち上げた森林保全団体「more trees」の事務局長に就任。発足以来15年間、団体の旗振り役としてさまざまな企画やアプローチで森林保全活動を進めています。

「教授(坂本さん)と出会い、more treesでの仕事を通して、クリエイターからアパレル、金融、食品、IT企業まで、あらゆる分野や業界とジャンルレスに関わることができるようになりました。環境に対する視野も活動の幅も、グッと広がりましたね」

水谷 伸吉さんイメージ
水谷 伸吉さんイメージ
水谷 伸吉さんイメージ

作り手が見える
国産材プロダクト

水谷さんがそう話すように、「more trees」の森林保全活動はいわゆる植林や森林整備にとどまりません。「都市と森をつなぐ」をキーワードに、木を植え、育て、適切に伐り、活用することを軸に、その過程で生まれる森の恵みを、カーボン・オフセット(排出されたCO2などの温室効果ガスを森林が吸収する量などで埋め合わせること)やオリジナルプロダクト、インテリアへの活用など、都市でのくらしに必要な形に変えて届けています。

「お米や野菜のように、more treesでは扱う木材やプロダクトは産地や作り手がわかるようにしています。僕自身、この活動を始めたことで、自分のくらしの中に間伐材や国産材の家具や日用品が増えました。顔が見えるものはやっぱり愛着が湧くし、これからも増やしていきたい」

とはいえ、身の回りのものすべてを国産材で揃えるのは大半の人が予算的にも難しいもの。ただ、大切にすれば長く使える木製品だからこそ、たとえば、メインのダイニングテーブルだけは3世代100年使うつもりで良いものを思い切って購入してみるなど、メリハリをつけた取り入れ方もできると、水谷さんはアドバイスしてくれました。

水谷 伸吉さんイメージ
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子どもたちに森という
場所を教えること

プライベートでは育ち盛りの5歳と2歳半の双子の父として、育児でも忙しい毎日を過ごしているという水谷さん。そんな中、お子さんとのコミュニケーションにおいても、森や木に触れる機会を大切にしているそうです。

「more treesで森づくりを行っている中山間地域などへの出張時、たまに子どもを連れて行くんです。自然の中でのびのびと遊べるし、地元の人が手厚くかわいがってくれるので子どもたちも楽しいみたいで。『また森に行きたい!』っていう反応が返ってくるたびに、しめしめと思っています(笑)。でも冗談抜きに、こうして僕の活動を間接的に見せることが、子どもたちが成長したときに森や環境のことを考えるきっかけになったらうれしいですね」

水谷 伸吉さんイメージ

50年、100年先を見据えた
多様性のある森づくり

子どもの頃に抱いた環境への問題意識を起点に、一貫した信念でこれまでの人生を切り拓いてきた水谷さん。森林保全のスペシャリストとして、将来に向けて目指しているのは、子どもたちにより良い形で森のあるくらしを残すこと。

「今、僕たちが木を植えて、それが森に育つまでには50年、100年の時間がかかります。僕はその森を見ることができないけど、未来を生きる子どもたちにはその森の恩恵が受けられる環境を残したい。いや、残さなくてはいけないと思っています」

また、こうした未来に残す森は「多様性のある森へと育てていくことが必要」だと水谷さんは力強く語ります。それはどうしてなのでしょうか。

「僕らが行っている『多様性のある森づくり』は、和歌山はウバメガシ、奈良はキハダ、北海道はシラカバ......といったように、その地域の土壌にあった在来種の木を中心に、さまざまな種類の木をミックスして植えています。複数種の樹木を植えて森を多様にすることで、病害虫が一気に拡大するのを防いだり、根の張り方の違いで山の地盤が安定したりと、本来森が持つ働きを発揮してくれるんです」

しかし、こうした〝多様性〟を主眼に置いた森林再生の取り組みは、まだまだ事例が少ないのが現状だそう。

「多様性のある森づくりは、これまで脈々と自然のサイクルで行われてきた植物、空気、水、土、そこで生まれるあらゆる生きものの循環を生み、そして私たちのくらしへと繋がっていきます。時間と手間はかかるけど、今後も各地での森づくりを地道に進めながら、子どもたちが大人になったとき、森を身近に感じられるようなくらしを実現していきたいですね」

水谷 伸吉さんイメージ
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