当たり前が「ない」、
アフリカ・スラム街での衝撃体験
銅冶さんがアフリカへの興味を抱いたのは、小学生のとき。幼い頃からスポーツが大好きで、プロ野球やNBAの選手名鑑に載っているアフリカ系の外国人選手に憧れを抱き、夢中で眺めていたそうです。
「かっこいいな〜と思う選手にアフリカンアメリカンの人が多くて、ペンで印を付けていました。そこから派生して、中学生になるとブラックミュージックも聴くようになって。ちょうどその頃、毎日のように通っていた図書館でふと、世界の様々な民族が載っている写真集を手にしたんです。顔に赤土を塗っている人や耳にでかい穴を開けてる人を見て、こんな人たちがいるのか! と、アフリカにルーツを持つ人や文化にあらためて興味を募らせたのを覚えてますね」
そんなアフリカへの興味が、はからずも今の活動につながる大きなきっかけへと拡張したのが、大学の卒業旅行。「二度とできないことをしよう」と、マサイ族の家でのホームステイのため、一人訪れたアフリカ・ケニアで目にした現実に大きなショックを受けました。
「一番衝撃的だったのが、滞在中に訪れたアフリカ第二のスラム街といわれるキベラ地区。悪臭が漂うゴミだらけの道。仕事も学校もない日常。親がいなくて、明日食べるものもない子どもたち。自分が当たり前のように得てきたくらしやものが、そこには何一つなかった。この旅を機に、自分はアフリカの人たちに対してどんなアクションができるだろうかと、強く想いを巡らせるようになりました」