Interview
#28

伝統を受け継ぐ
能楽師親子に聞いた
能楽を楽しんでもらうために
伝えたいこと

長山 桂三さん

観世流能楽師
長山 凜三さん
高校1年生 長山桂三さん長男 KEIZO, RINZO NAGAYAMA

<長山 桂三さん>1976年、兵庫県芦屋市生まれ。5代続く、観世流シテ方長山禮三郎(重要無形文化財総合指定保持者)の次男。重要無形文化財総合指定保持者。故八世観世銕之亟静雪(人間国宝)、九世観世銕之丞、父の長山禮三郎に師事。東京を中心に全国で演能に出演。パリ、ニューヨーク、モスクワなど海外公演や新作能、復曲能にも多数出演。能楽の魅力を広めるべく、自身が所有する世田谷区上野毛の能舞台にて稽古や体験活動、鑑賞講座にも従事。
<長山 凜三さん>2005年、東京都世田谷区生まれ。2歳より能楽の稽古を始め、2歳半で独吟「老松」で初舞台以後「合浦」「岩舟」「猩々」「花月」のシテ、「烏帽子折」子方など100番以上の舞台を勤め、2019年「船弁慶」にて子方卒業。
https://www.keizou.net/

室町時代に誕生し、600年以上もの長きにわたって途絶えることなく継承されてきた「能楽」。長山桂三さんは、5つある流派の一つ、観世流の能楽師です。伝統を守るという大きな使命を担い、どのような思いで研鑽を重ね、舞台に立ち続けているのでしょうか。そして、能楽師の家で生まれ育った長山さんのこれまで、現在のくらしとは。長男で高校生の長山凜三さんにもお話も伺いながら、くらしと芸能が密接に結びついた役者としての理想や未来への思いをお聞きしました。

能楽師の家に
生まれるということ

コロナ禍以前、能楽の舞台への出演が年間100回はくだらなかったという長山桂三さん。毎日のように違う演目と向き合いながら、長山さんいわく「『命には終あり 能には果あるべからず』という世阿弥の格言があるんですが、能の修⾏は本当に永遠ですね」と研鑽を続けています。

「伝統芸能というと、浮世離れている⼈がやっているのではと思われるかもしれませんが、私はいたって凡人でございます(笑)」

膨⼤な数の謡(うたい / 能の⾔葉、台詞にあたる声楽)を覚えなければならず、その⼤変さは「暗記パンが欲しいくらいです」。ですが、「演者、お客様含め⼀緒に舞台を共有でき、演ずる役と向き合えた時の喜びは何ものにも代えがたい幸せを実感する」などと朗らかに教えてくれました。役者として演じるだけではなく、演目の企画や公演のマネジメントをも担う多忙な日々を送っています。
長山さんは5代続く能楽師の家に生まれました。子供の頃は、自分の部屋のすぐ横が能舞台で、物心つく前から父の謡を聞き、くらしの中に、当たり前のように能が存在しているという環境で育ちます。初舞台を経験したのは4歳の時でした。

能の世界では、子方(こかた / 子役)を卒業する時期は舞台数が大きく減り、変声期に突入してしまうことも重なって、能楽師を志すか、他の道に進むか、大きな分かれ道になるそう。長山さんも、思春期には稽古から遠ざかっていた時期もあったと言います。

「反抗期も重なったので、なんでこんな家に生まれてきてしまったんだろう、と思った記憶もあります。しかし、結局19歳で自分から能楽師を目指して内弟子に入ることに決めました。幼少の時から親しんできた、能楽界の〝スーパースター〟への憧れを断ち切れなかったのです」

長山 桂三さんイメージ
長山 桂三さんイメージ

「ドラマチックに演じなさい」
という教え

7年間の住み込み修行は、師匠たちの鞄持ちから始まりました。辛いことも多かったそうですが、憧れの役者たちの舞台を、その生活を含めて間近で見られたのは大きな財産になったそうです。

「日常が大切だ、と先代の先生がよくおっしゃっていました。廊下を足音立てて歩いたら怒られましたし、猫背を直して、日頃から構え(舞台上での静止の所作)をしておけ、と」

そしてもう一つ、大切な教えが、ドラマチックに演じなさい、というもの。

「⼈の⼼を動かすためには『謡本と型付(定められた演じる型(動き)書物)を読み込み、曲の本質を理解した上で演じるように』と⼝うるさく⾔われました」

能舞台で演者が醸し出す緊張感と、激しい情動を内側に込めてから押し出す独特の表現には、現代を生きる私たちの胸を打つ力があります。それは、歴代の演者たちが古典芸能だからと驕らず、「今」の人の心に訴えかける普遍性を探求してきたからこそ。

「役者の歩んでいる人生や、精神がそのまま出るのが能です。ですから、修行は死ぬまで続くと思っています」

長山 桂三さんイメージ
長山 桂三さんイメージ
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想像力を働かせて
鑑賞することの大切さ

今なお、多くの人を感動させる能楽。しかし、敷居が高いと感じる人も少なくありません。伝統芸能を楽しむにはどうしたらいいのでしょうか?

長山さんは能楽の普及の一環として、自宅の能舞台を使って演目の解説をする講座も開催しています。受け身ではなく、能動的に楽しもうとする姿勢が大切なのだそう。

「能舞台の背景は鏡板(老松が描かれた壁)で、これはずっと変わりません。例えば、「⽻⾐」の演⽬ですと、詞章(ししょう / ⽂章)などから、『ここは三保の松原なんだ』『天女の舞はどのようなもの?』 等、想像⼒を逞しくしながら鑑賞してほしいんです。それぞれの感性で何かを感じて頂きたい」

映画やドラマなど、大量のコンテンツにアクセスでき、ともすると受け身になりがちな現代の作品との向き合い方について改めて考えさせられます。

「私はよく『まずは5回見てください。それで面白いと感じられなかったら、10年後にまた来てください』と言うんです。20代では難しくても、40代、50代になって良さがわかるのが人生の面白いところです」

長山 桂三さんイメージ
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父と息子、
能楽と共にあるくらし

能楽師の息子ではあるものの、最終的には自らこの道を望んだ長山さん。長男の凜三さんにも同じように自分の跡を継いでほしいという思いがあります。

「自分の役者としての成長はもちろん、次世代へ継承していく、ということも大きな役目だと思っています。とはいえ息子には、親が言うから、ではなく、やりたいと思って選んでほしい」

現在、高校生の凜三さんはバスケットボール部に所属しており、忙しい学校生活を送っています。いったん子方を卒業し、まだ将来が定まっていない息子がどんな選択をしてもいいようにと、長山さんは、能との関りを絶やさぬよう心配りしているそう。

「月に1回でも、2ヶ月に1回でも、お弟子さんの発表会や体験講座など、何かにつけて舞台に上げるようにはしています(笑)」

凜三さんは2歳から稽古を始め、子方として2歳半で初舞台を務めました。長山さんと同じく「能楽師の息子」として生まれ育った彼は、能についてどう思っているのでしょうか。

「父も『凡人』だと言っていましたが、僕も普通の高校生です。小さい頃は、他の家庭とは違うので疑問を持ったこともありますが、わりとご褒美に釣られて頑張ってしまうタイプでした(笑)。申し合わせ(本番前のリハーサル)の後によくハンバーガーショップに連れて行ってもらえたんです」

という、なんとも微笑ましいエピソードも。

「でも、成長するにつれて、舞台が終わった後に感じられる達成感、やりがいが大切なものだと思えるようになりました。もし自分が能楽師になるとしたら、親に言われたからではなく、自分のためにその道を選びたい」

長山 桂三さんイメージ

お客さんと共に学び、
高め合いたい

能楽が海外から注目されていることを受けて、凜三さんは、グローバルな視点でその普及に携わりたい、という夢を教えてくれました。

継承と振興。常にこの課題と隣り合わせの伝統芸能の世界で、長山さんはこれからどのような目標を見据えているのでしょうか。

「海外に行くと、皆さん、自国の芸術に詳しいですし、美術館に行っても若い子が熱心にアートを見ている。⽇本にも、⾃国の⽂化芸術について語れる⼈がもっと増えてほしいと思っています。能だけでなく、歌舞伎でも⽂楽でも茶道でもいい。芸術に触れることによって、⽇々の⽣活に潤いが生まれて、⼼が豊かになってもらえたら」

源氏物語や伊勢物語などの古典文学を知っていることが教養だったという時代もありましたが、今は知らないのが当たり前。そんな現状を鑑み、長山さんは見学や体験、さまざまな講座を用意してコミュニケーションを試みています。
「これからの伝統芸能は、お客さんと共に学び、共に高め合っていく姿勢が必要だと思います。今を生きるために、過去も同時に大切にしていかなければならない。引き続き役者として精進し、能楽の継承には尽力していきたいですね」

長山 桂三さんイメージ
KEIZO, RINZO NAGAYAMA Everything Has A Story
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