能楽師の家に
生まれるということ
コロナ禍以前、能楽の舞台への出演が年間100回はくだらなかったという長山桂三さん。毎日のように違う演目と向き合いながら、長山さんいわく「『命には終あり 能には果あるべからず』という世阿弥の格言があるんですが、能の修⾏は本当に永遠ですね」と研鑽を続けています。
「伝統芸能というと、浮世離れている⼈がやっているのではと思われるかもしれませんが、私はいたって凡人でございます(笑)」
膨⼤な数の謡(うたい / 能の⾔葉、台詞にあたる声楽)を覚えなければならず、その⼤変さは「暗記パンが欲しいくらいです」。ですが、「演者、お客様含め⼀緒に舞台を共有でき、演ずる役と向き合えた時の喜びは何ものにも代えがたい幸せを実感する」などと朗らかに教えてくれました。役者として演じるだけではなく、演目の企画や公演のマネジメントをも担う多忙な日々を送っています。
長山さんは5代続く能楽師の家に生まれました。子供の頃は、自分の部屋のすぐ横が能舞台で、物心つく前から父の謡を聞き、くらしの中に、当たり前のように能が存在しているという環境で育ちます。初舞台を経験したのは4歳の時でした。
能の世界では、子方(こかた / 子役)を卒業する時期は舞台数が大きく減り、変声期に突入してしまうことも重なって、能楽師を志すか、他の道に進むか、大きな分かれ道になるそう。長山さんも、思春期には稽古から遠ざかっていた時期もあったと言います。
「反抗期も重なったので、なんでこんな家に生まれてきてしまったんだろう、と思った記憶もあります。しかし、結局19歳で自分から能楽師を目指して内弟子に入ることに決めました。幼少の時から親しんできた、能楽界の〝スーパースター〟への憧れを断ち切れなかったのです」