Interview
#21

神社の役割はなんだろう?
地域の人々を繋ぐため
400年続く神社を守る
宮司が描く未来

船田 睦子さんMUTSUKO FUNADA

穏田神社 宮司

1993年、東京都生まれ。生家は400年の歴史を持つ原宿の穏田神社。白百合女子大学文学部卒業。ファッション系企業などを経て、先代の父の病気をきっかけに継ぐことを決意。同じ渋谷区内の神社で経験を積みながら、國學院大学で一年間学び直し、宮司になるための神職の階位である「正階」の資格を取得。2020年、3代目宮司に就任。コロナ禍で数々の行事に制限がかかる中、独自の夏祭り、節分などの企画を打ち出して注目され、地域のコミュニティとしての神社運営に尽力。
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表参道や、原宿キャットストリートの「氏神様」(その地域に住む人々が信仰する神道の神様)が、渋谷と原宿の中間地点に佇む小さな神社だということを知っていますか? 400年の歴史を持つ穏田神社(おんでんじんじゃ)。2020年、3代目宮司に就任した船田睦子さんは、コロナ禍でお祭りや行事が次々と中止になる中、それに代わる様々な企画を打ち出し、地域との繋がりを守り継ぐべく奮闘しています。船田さんが考える、今、神社が人々のくらしの中で果たせる役割とは?

「神様って、神社って
すごいんだ」

船田さんが、初めて神様の存在を意識したのは4歳くらいの時。穏田神社の社殿は1998年に新築されましたが、その際に執り行われた遷座祭(せんざさい/御神体を遷す祭儀)の光景が、今でも忘れられないと言います。

夜、周囲の街灯が全て消され、参道の両側が「絹垣」という白い布で覆われ、その中を宮司である船田さんの父が御神体を持って歩き、新社殿の中にお移しするのを遠目から見ていました。

「警蹕(けいひつ)という、神事の時に神職が発する『おお』という声だけが響いていました。何も見えない中で神様が通っているのだということを意識した時、幼心に、神様って、神社ってすごいんだ、と思いました」

「いろんな宗教について学びなさい」という両親の方針もあり、船田さんはキリスト教系の大学でフランス語を学びます。その後は一般企業に就職。長女なのでいずれは継ぐのだろう、という考えがずっと頭の片隅にあったそうですが、もしかしたら「逃げていただけかもしれない」、と振り返りました。

船田 睦子さんイメージ
船田 睦子さんイメージ

父が守ってきた
地域の絆

父の病気が契機となり、継ぐことを決意した船田さん。神社の仕事を通じ、これまで祖父や父が築き上げてきた地域の人々との繋がりを身にしみて感じたと言います。

「近隣へのお札配りの時なども、『船田宮司さんご具合いかがですか』『船田宮司さんには良くしていただいて』と声をかけてくださいました」

また、跡を継ぐための準備を始めた船田さんに、先輩である区内の神社の宮司が、うちで働いて経験しなさい、と声をかけてくれました。神職の資格を持っていても、働いてみないとわからないことは数多くあります。祝詞について質問したらファックスを送ってくれたり、一緒に地鎮祭を回ってくれたりと、多くの局面でお世話になったそうです。

「『むっちゃんのお父さんが私にしてくれたことだから、助けるのは当たり前のことだよ』とおっしゃって。これまで、父の宮司としての仕事は、尊敬しながらも、自分ではその重さは抱えきれないと逃げ続けていました。でも、こうした繋がりに触れると、自分がやりたい、やりたくないという話ではなく、守らなければならないのだ、と強く思うようになりました」

船田 睦子さんイメージ
船田 睦子さんイメージ
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コロナ禍でも
神社として奮闘

船田さんが宮司になったのは、ちょうどコロナ禍における最初の緊急事態宣言の時期。来社する人は激減し、お祭りや行事もこれまで通りできず苦境に立たされます。

宮司として一年を終えた段階で、この危機を脱するため、さらにその先の未来に向けて神社を守り続けていくため、ブランディング会社とともに改めて神社のコンセプト作りを行いました。

「原宿という土地は企業や店舗が多く移り変わりの激しい場所です。しかし、その中でもずっと変わらず、人と人が繋がる場所、人を想う幸せが循環する場所にしよう、というコンセプトを決めました」

2021年の夏には、夏祭りの代わりに神社で線香花火をして写真を撮り、配布する企画を実施。9月の例大祭では出店が出るお祭りはできませんでしたが、氏子(氏神が守る地域の住人)に相談して無料でおもちゃを提供してもらい、子どもたちのための福引大会を実施しました。久々に境内で子どもたちの声を聞いたと、多くの人が喜んでくれたそう。

今年の節分では、恒例の豆まきができない中、「皆さんの心の中にある鬼、呼び込みたい福を書いて貼ってください」という企画をしました。鬼とおたふくが描かれた大きなポスターの中に、豆の形の小さな付箋を貼っていく形式。「すぐ寝てしまう」「怠けてしまう」といった様々な書き込み一つひとつに、船田さんは全てコメントを返しました。

船田 睦子さんイメージ

自分らしく
等身大の宮司でいたい

宮司の一日は、境内の掃除、ご祈祷、社務所が開いている時間帯はお守りを頒布し、会計や、氏子への連絡、新しい企画の立案、そして神社庁の業務など、多忙を極めます。近隣の約30店舗の美容室に電話をかけ、七五三のお客さまに穏田神社を紹介してくれないか、と新たな営業活動も。昨年は、その中の2店舗から「七五三の穏田神社専用パッケージプランを作りませんか」と声もかかりました。地道な活動は着々と身を結び始めています。

跡を継いでからの怒涛の2年を、「自分の心と向き合う暇がなかった」と振り返る船田さん。親しみやすく、遊び心のある企画を作るためには、自分の心の中に常にゆとりが必要。それに気づいてからは、映画を観たり、本を読んだり、といった息抜きや、花を社務所に飾るなどくらしの中のささやかな喜びを大切にするようになったそう。

また、宮司として気をつけているのは、伝統を守りながら自分らしさを忘れないこと。お参りに来る人にも積極的に声をかけてコミュニケーションをとり、飾らない等身大の姿を見てもらうよう意識しています。

「神職が近寄り難いと思われてしまうのは、本来あるべき姿から離れてしまっている気がしていて。神社を皆さんにとって和める場所にするためにも、私の姿を見て安心していただけるようにしたい」

船田 睦子さんイメージ

神社が人と人の出会いの
橋渡し役に

穏田神社でお祀りしている神様は3柱。そのうち2柱は、淤母陀琉神(おもだるのかみ)と阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ)という男女の神様です。「面足尊」ともいい、オモダルは「整った容貌」の意味、アヤカシコネは「畏れ多い女性」の意味とされ、美容と、技芸上達にご神徳があるとされています。

「非常に原宿らしいご神徳を持った神様で、これは本当にすごいと思います。この土地に美容室が多いのはやっぱりご縁じゃないかと思えるほどです」

船田さんが今、わくわくするのはこの「ご縁」に触れる瞬間。これまで、原宿に拠点を持つ企業で働いたこともありますが、そこで培った人脈や経験が宮司としての仕事にも生きているそうです。

「思わぬご縁が神社でのお仕事に結びついた、ということがここ1、2年続いて、とてもわくわくしました。あんなに継ぐことには消極的だったのに、全部繋がっていることが不思議で」

これからは神職として階級を上げるための自己研鑽はもちろんのこと、氏子と近隣の企業や店舗をつなげる企画を考えていきたい、と展望を教えてくれました。

「お祭りやマルシェ、なんでもいいので、地域の皆様に少しでも恩返しができる企画がしたい。神職は、神様と皆さんの仲を取り持つ『なかとりもち』と言いますが、神様とだけでなく、人と人を繋げ、出会いの橋渡し役になっていきたいです」

船田 睦子さんイメージ
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