2020.2.22 / その他(AND OTHER)
モリスからグロピウスとは、19世紀のヨーロッパにおける近代デザインの父に始まって、
20世紀初頭の、デザインの礎までのこと。
先日ご紹介した「桂離宮」の本に続く、私がおもしろいと思っている興味へのフォーカスです。
学生時代〜1970年代まであたり、自分たちの時代のデザイン教育の基本となってきたことを、もう一度検証したいと思い、隙間時間を見つけては、古い本を読み漁っています。
若い時よりも、それはずっとわかりやすく、また、これらの本が上梓されてから百年近くが経っているので
それが古くなったのか、変わらないのかも、検証するとまた面白いのです。
たとえば、ワルターグロピウスのバウハウス宣言のなかにある
「すべての造形活動の終局の目標は建築的造形である。建築家も彫刻家も画家も、われわれの仕事は手工(das Handwerk)に立ち還らなければならぬ。(中略)そこに創造的造形活動がある」(ヨハネス・イッテン著造形芸術の基礎より)
現代はメディア芸術のような新しいジャンルが生まれているし、必ずしも。なところはあるけれども、言葉をヒントにすると良いと思う。
たとえば、ここに園芸家というジャンルの名称を入れてみる。まさにバウハウスとも縁があったミッドセンチュリーのガーデンデザイナー、ミーン・ルイスはこのことを認識していたはず。庭を作るということは自然界とタッグマッチの創造的造形活動だとずっと思ってきたので、この考えは間違っていなかったと思う。
またこうした事象にパラレルするようにモダンガーデンも変遷していき、今に繋がる。
年末にサマセットに訪問した、ザ・ストリー・オブ・ガーデニング・ミュージアム(今年、9月28日発のツアーでは遂に予約にこぎつけました!)のとっても楽しい展示には、世界のモダニズムガーデンの代表は、アメリカのガレット・エクボに始まって、メキシコ、ルイス・バラガン、日本の重森、そして、オランダのルイス、アウドルフと繋がる。なんとなく強引な感じはする。しかし
要するに、21世紀、現代のピート・アウドルフさん(以下敬称略)の庭まで、いささか自己流の系譜かもしれないけれども、こうした川の流れのような認識があると、また一層庭のデザインの仕事に、体幹的な芯ができるように思えます。
去年の暮れからこのこと、再燃して(最初はブルーノ・タウトの本がどこにいったか探していた。まだ見つからない。そこから始まって)それがまさに「時代の流れと建築と庭」がリレーティブなのだと気づいて、自分的に腑におちて「そうだったんだ!」と自己完結で嬉しくなっている次第です。(写真は現代美術美術館と、ピート・ガーデン)
それは、あまり簡単に共感してもらえないかもしれないけれども、誰かが、少し理解してくれるかもしれないから、書くことにしました。あるいは誰かが、それはちょっと違うよ。と異論を唱えても、これは私の浪漫であり、このような思想の礎があって、園芸と、庭と、建築と環境のビジョンを見ているということ。産業革命以来、今に至る気候変動。様々な事が起きたけれども、今一度ここで振り返ることに大きな意味がある。
(写真は桂離宮、賞芲亭 おお、日本のミースかコルビジェか。と思った一角)
それは、サマセットにできた「ザ・ストリー・オブ・ガーデニング・ミュージアム」とも深く関係があります。
こうした考え方の基本が自分たちを支え、庭もさまざまな形で登場し、存在し、愛されて来たのだということ。わかってくると尚更深い思いに至る。
なので。少しでも広い視野でワイドレンジに興味のあらゆる事を話題にしたいと思います。
今、豆苗の苗が大きく育って美しいので、どっちを先に話題にすべきか悩んだのですが...。
前置き長くなりましたが、この100年ちょっとの間の、庭と建築の世界の繋がりとこれからのガーデニングについて、桂離宮からThe Newt in somerset まで.....。
写真はロンドン・バービカンセンター、昔は、重たくてアグリーと感じていた「ブルタリズム建築を見栄えさせて大成功!」と思っているナイジェル・ダネット氏設計のナチュラリスティック・ガーデン。
*話は違いますが、2月22日時点で、青山の花壇植栽 ボランティアのお申し込みいただき、ありがとうございます。引き続き、月曜日まで、募集しています。今日は、3月中旬のような陽気。宿根草の切り戻しを急がなくては!
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