お庭からベランダ、エクステリアなどガーデニング回りをスタイリッシュに演出

 

FullSizeRender.jpg

ナチュラリスティック・ガーデンが、園芸愛好家やガーデン業会以外からも脚光を浴びるようになり、

庭と建築の関係、以前よりも多くのひとたちが注目するようになったと感じます。

なので、どちらか片一方にしか興味のなかった人たちにも、この興味が繋がってきたらいいなあ!

と、願っています。だってそのほうが面白いのだから!

(写真はロンドン、サーペンタイン・ギャラリー付属のカフェ、ザハ・ハディド建築とアラベラ・L・ボイドが庭を設計。ガーデンズイラストレイテッド誌より。)

DSC_0924.jpeg

もともと、日本建築に日本庭園、イギリス住宅とイングリッシュ・ガーデン、イタリア建築とイタリアン・ガーデン。フレンチも然り...。キリがないですが。家と庭は「ワンチーム」と見ることでスタイルが確立しますよね。なので、21世紀の現代建築に、今、ピート・アウドルフほか、モダンガーデンの才能ガキラキラしています(写真は、シシングハースト)

2-1.jpg

文化的で人間的な魅力の表現。

それこそが、ガーデナイズされた自然で、そこに大きな魅力を感じます。

(写真は古いポジから、1997年のウラートン・オールドハウス。アーツ&クラフツの庭)

IMG_6122.jpeg

ガーデニング、園芸的な栽培の興味だけで終わってしまったらもったいない。一種でも美を司る植物たちと手をとって。

家と景色との全体調和を考えたら。もっとずっと、経験も、教養も、勉強をしたくなる意欲や知識の広がりもでてきます。(写真は 桂離宮)

IMG_8629.jpeg

建築と植物の関係。造形と園芸、マクロからミクロの視野が両方。おもしろいです。(写真はアーニッシュ・カプーアの彫刻の展示がされたヴェルサイユ宮殿の庭)

そこで実は、私が子供の頃から抱えてきた矛盾のことを話題にしておきたいのです。

こうして書くことで今までを振り返り、今後の軌道修正に大いに役立つと思うから。

私は物心ついた時から、デザイナーになると決めていました。小学校の頃はインテリアデザイナー、グラフィック、建築、ファッション、その後いろいろ変わりました。

デザイン理論では、最も身近なデザイナーの先輩(父)の意見に大きく影響を受けていました。

(でも、今はあれ、間違ってたねと言いたいことも多い)

たとえば、建築家の父は「建築に植物や木々を入れる事は、刺身にツマを飾るようなもので、それは、負けだ」と言っていました。「そうなのか」と若い私は思ってました。美しいモジュールの椅子にクッションなど絶対に置くなとか。でも、そういうことを施主に要求するので営業的には最悪でした。

コルビジェは自然と建築の調和について半々が良いと言ってた記憶がありますが。どうだか。

IMG_5524.jpeg

(このドローイングは父の1945年のもので、まだ若かったのできっと植物と調和するようなことを考えていたらしい)

なんでそんなこと、一生ひっかかって生きているかな私。とも思うけれど、父の言う意味もよくわかるのです。

でも、ま逆に、私の母は綺麗好きで、物は溜めない方でしたが、花を育てることが大好きで、無頓着にあれこれデザイン無視で花を育てていました。そんなハザマで育ったので、実に矛盾をかかえます。母の言い分もごもっともでした。また、家には使いにくい椅子やすぐにひっくり返るキドニーシェイプのテーブルなど、いろいろ便利ではない不都合な見た目デザインだけ、おもしろいものがありました。前にも話したけれどもバラフライチェアはその上に子供(私)が乗っかったら確実に頭から落下し怪我をした。いつかそれは、捨てられた。

自分は両方のDNAを持っており、どちらもエゴとの戦い。60歳を過ぎて今そのことにぶつかっています。どっちが正しいとかではなく。

IMG_6810.jpg

4〜5歳の頃、ブサイクな表情でお恥ずかしいですが、カメラを向けられると不機嫌でした。

大きく放たれたドアと鉄平石の小さなテラス、木製ルーバーの前には枯山水の庭。庭もファサードも、父の設計による私の育った家です。ここで育ったので、まさに、建築に植物を添えるのは敗北。の意味もわかる。(後に、この白い砂利のエリア、母が優勢になり草花だらけになった!美的には、良くありませんでした)植物、少し油断するとぐしゃぐしゃと暴れて乱れて、確かにミニマムは無理です。

IMG_6880.jpg

この写真の時代、1950年代の東京。ちょうどひな祭りの前で、今から60年くらい前の実家の居間です。護国寺の鬼子母神で売られていた木兎が下がっています。あとは、父のドローイング。雛人形をここに飾ったのも父だと思う。その父はその頃には独立し、ここで自分の建築設計研究所を始めていましたが、それまでは、戦前のバウハウスから戻った山脇巌先生の設計事務所にいました。なので、家の中には柳宗理のバタフライチェアやイームズの椅子がありました。両親の結婚式の仲人も山脇先生ご夫妻だったと聞いています。

こういう環境で育ってきたので、私は当然、ヨーロッパの、ロココもゴシックもクラシックなもの、ミニマルではない装飾的な存在はすべて、嫌いでした。単純に悪趣味だと思っていたのです。でも、それが大きな誤解!

IMG_8392.jpeg

ヨーロッパに行くまで、その本物を、知らなかったことが原因です。

父もアメリカにしか行ったことがなく、知らなかった。

そして、日本で見る偽物は、やはり悪趣味なものが多かったのかもしれません。

しかし、本物のヨーロッパの装飾は...

_1060066.jpeg

本物は、気品があって美しくて、びっくりしました。マリー・アントワネット様はグッドテイスト。

そこから、私の宗旨替えが始まりました。ただし、そう簡単にすぐに受け入れた訳ではなく、最初は「気持ち悪い」とか言ってました。初めての3ヶ月のヨーロッパ旅行、徐々に感化したというか。自分もヴェルサイユやバチカンみたいなことがしたいと、帰国した年に友人のTちゃんと六本木AXIS で開催したのが1983年の「Lucky Tacky 」展でした。会場にたまたまやってきた J・ゴルチェにTちゃんが対応し、そこからLucky がスタート。

_1060164.jpeg

でも、西洋の暮らしをなんとか、モノにしたいと!結果的にヨーロッパに移住し、今は夫のデザインによるイギリスのアーツ&クラフツを基調とした家に住んでいる。

そこには、川のように流れてきた自分のデザイン史があって、そこに一応のヒストリーを意識しているからでもありますが、今、また、潮目が変わりつつある!

IMG_4728.jpeg

実は我が家の基本はコンクリート打ちっぱなしの家ですが、裏側はデレクジャーマンの漁師小屋と同じ仕上げの木造です。そして、このキッチンは、私の一生の宝です。

決して私は、メルヘン趣味ではない。コンクリート打ちっ放しのストラクチャーに19世紀の尼僧院のドアをつけたような家に住んでいます。でも、最近、また、先祖返りのような憧れが....むくむくと。

さて、そんな経緯の末、思い出されること。世界の建築の歴史上、もっとも偉大で尊敬できる建築家は誰?

IMG_6870.jpeg

と学生時代、父に聞いたことがあります。

当時(1960~70)父は日大芸術学部の美術学科デザイン科で「近代デザイン論」のゼミを持っていたので、そのゼミに関わる学生たちが始終実家に集まり、徹夜をしながら楽しそうに映像や音楽を編集する姿を横で見ていたので、私は、19世紀の終わりから20世紀半ばまでの建築家やデザイナーの名前は耳にタコができるほど、名前と写真だけなら知っていました。

IMG_6806.jpg

この本は、私が1歳の時に父が買った本です。これもそのまま、先日の桂離宮に続いて、私のお宝本のひとつです。イギリス人が書いていますが、NYのMOMA(ニューヨークの近代美術館)から、日本語訳出版元は、みすず書房。1936年初版 1948年第二版。日本版は1957年出版。

この本のなかでも、近代建築の四大巨匠は、ル・コルビジェ、フランクロイドライト、ミース、グロピウスとされています。私もそのように教わりました。そうやって、子供の頃から建築へ憧れを抱きながら成長してきました。

IMG_6871.jpg

それで先程の父の答えは

「ミース・ファン・デル・ローエ」でした。(写真図録は上記の本より)

コルビジェじゃなかった。それを聞いて以来、そのことを検証しようと、学生時代から、近代建築の四大巨匠とされている建築家の作品を1箇所でもいいからと、見学旅行を夢みていました。

それは少しづつ実践しましたが、たいして充実できていません。

DSC_0669.jpeg

(写真は一瞬、ミースっぽいけれども、違う。オランダで見た現代建築とナチュラリスティック)

IMG_4664.jpeg

ピートさんの家というか仕事場。

IMG_6811.jpg

1983年、まだ東西の壁に分断されていた冬の西ベルリンに、ミースが設計したNeue Nationalgalerie ノイエ ナティオナル (新ナショナルギャラリー)を訪ねました。(今改装中)当時の写真が例によってカビだらけのポジしかないので、その同じ時に訪ねたバウハウス建築博物館のパンフレットなどでお茶を濁す。オスカー・シュレンマーのダンス(TANZ)のピクトグラフがかわいいでしょう。

いろいろな建築を見学して回りましたが、なかでもやはり、思い出のなかで、ミースは最高に美しかった。というか、やっぱり好きでした。

ミースの名言「Less is more (より少ないことは、一層豊か)」を表した

まことに簡潔な空間でした。

ミースのバルセロナ・チェアが、完璧なバランスで美術館内に設置されていました。

20代の頃はいつかあの椅子を手に入れ、あの椅子のある暮らしを真似しようと思いましたが、

五十路近くで建てた家のインテリアに、ミースは片鱗も存在せず

_F5I6223.jpg

ウイリアム・モリスの部屋は作りました。思想から入るという手もありと、モリスのデージーで。

10-ゲストルーム.jpg

しかし、イギリスの帰国から22年目の今年。ますます気になる

「Less is more (より一層少ないことは、一層豊か)」ますます実践できず、要素が増え過ぎ持ち物過多になってしまったので、2020年、これからは、Less is more を合言葉に明日を考えたいと思うのです....。

今、イギリスの家具を少し処分してモダニズム・ルームの拡大を検討中。

まずは、断捨離が、大きな課題ですね。

三連休、どこへも出かけず、もちものの処分に悩みつつ、家のテレビで20世紀初頭の建築家インテリアデザイナー、アイリーン・グレイが主人公の映画 「The price of Desire 」を見ました。

「家は拡張された自己」というコルビジェの言葉にひっかかりました。映画の中にも、装飾への矛盾が描かれており、考えさせられました。とにかく!持ち物は減らすこと!今、外出を控えていらっしゃる方も少なくないのでは。これから春が来ると庭はすぐにいっぱいになってしまうので、まずはカットバック(切り戻し)。身の回りもちょっとカットバックしたいです。


■おすすめ特集

吉谷桂子

英国園芸研究家、ガーデン&プロダクトデザイナー。7年間英国に在住した経験を生かしたガーデンライフを提案。さまざまなイベントや雑誌などに出演するほか講師を務め、著書も多数。また国際バラとガーデニングショウやレストランなどの植栽デザインを担当。2013年春にファッションブランド「Shade」を立ち上げた。


Instagram@keikoyoshiya 

Archives

Recent Entories