2018.12.27 / ガーデニング(GARDENING)
今の時代は、あまりにポピュラーな、ゴッホの絵ですが、ゴッホの絵を見るたび、繰り返し思うことがあります。
(写真は、ゴッホの"Souvenir de Mauve" とても静かなクレラーミュラー美術館にて)
ゴッホの生きていた時代(1853~1890)に、(ゴッホの) 絵が売れなかったのは、なぜか。
何度も、不思議な気持ちになる。凄く、惹きつけ力があるのに。
今、ゴッホの絵はオークションで160億円を超えるんですって。
昔3億円で驚いたけれど、それどころではないですね。
同時代のモネ(1840~1926)は、画家として社会的にも、経済的にも、十分な境遇に達したのに。
ただ、ゴッホの絵はもっとも色彩の美しい時代の作品でも、見ているうちに神経がピリピリする。
家に飾りたいかといえば、ちょっと....。モネの絵は、ほとんど気持ちがいい。欲しい。
(すみません、絵を見るとき、最後は、どれが欲しいのかという目で見てます)
1982年。20代のころ。初めてアムステルダムのゴッホ美術館へ。
ゴッホの本物の絵を観た時の、驚き。びっくり。感動が忘れられません。
美術館は閑散として、少しうす暗い空間で、色彩豊かなゴッホの絵が輝いていました。
冬のアムステルダムは、外のほうがもっと暗くて。
このとき、絵を見て感動するという気持ちのなかで立体的に浮き出るような体験。
はっきりと覚えています。
ゾクゾクゾクっと。きた。これが絵画の、色彩のインスピレーション。
(ちなみに、素晴らしい庭に出くわしたときも、ゾクゾクゾクっ!)
これって、現象で見えているものだけではなく、結構、スピリチャルな要因もある。
それまでゴッホの絵は美術の教科書など印刷物でしか見たことなかったので、こんなに?!と。
(写真は10年ほど前、ミセス誌の取材で開館前に撮ったもの)
でも今年訪ねた、アムステルダムのゴッホ美術館。あまりにも観光客が多く混みすぎ。
ネットからの事前予約入場限定制で安からぬチケットを買った上に、さらに行列入場...。
混んでいるので、係官もイライラ顔。
せっかくここまで来て、見たかった絵を見に来ているはずなのに、皆、幸福そうではない。
ただ単に旅のルーティンをこなしている的な。
美しいという表現が合わなくても、好きな絵や尊敬する絵、インスピレーションを与えてくれる絵に出会えるなら、もっとワクワクしたりハッピーオーラがでてもよさそうなのですが。
でもね、この「花咲くアーモンドの枝」の絵には、狂気を秘めながらも、愛が溢れる。
この絵の逸話を知るとまた納得する。長くなるのでまたいつか。
だから、美術館へ行くという本来は心の充足、充満なら、ゴッホの絵はほかにもあるから。
ゴッホ作品の所蔵が多いことで知られるクレラーミュラー美術館は、
芸術を愛するひとたちの空気があっていい。
オランダへ、個人で行くなら朝から晩まで、あの敷地内で過ごすことをお勧めしたいです。
ゴッホの絵は、色彩学の勉強の点で、庭を作る私たちに、大変に参考になります。
ちょっと怖いけれど。色調の組み合わせに、大きな喜びがある。
この色調を庭で活かしたい。そういうヒントに満ちています。
さて!オランダの地続きで、話が続きます。
「Piet Oudolf の庭の、どこがいいのかわからない」
と、素直に感想を述べた方がいらっしゃって、その意味は、ちょっとわかります。
Art と Nature この versus な関係性に魅力があるのです。
美しい雲の流れる青空を、Art とは呼ばない。でも、ゴッホの描く青空は...。
それは Art 。
Piet 作品を Art だという人が多いけれど、私もそれは間違いないと思う。
一種のサイトスペシフィックアートということになると見ている。
それを作るには、職人的素養も必要ですが、観る側には、芸術的素養が必要に思う。
うわ。怒られそう。
ただ、一面に花が溢れる景色ではない。ネモフィラが一面に咲くのは、もちろん美しいが
それは、Artではないと思う。
(「ジーキルの美しい庭」(平凡社刊)より抜粋)
ジーキルというと花の色彩で有名だけれども、森の植栽のデザインや庭の構造についても著書があります。
ジーキルは、庭をデザインをするだけでなく、庭のデザインのメソッドや庭への思いを綴る言葉が無数にあります。
その豊かさに触れるほどに、逆に、実際にジーキルが作ったリアルタイムの庭は見ていないけれども、私の想像のなかでは、著書に触れるたび、勝手な想像ながら、世にも美しいイングリッシュガーデンの景色が広がるのです。
Piet Oudolf さんに大きな影響を与えたというMien Ruys は、ジーキルに多大な影響を受けたといいます。
また、ジル・ハミルトン他(共著)が書いた「The Gardens of Willam Morris 」を読むと、
ジーキルはモリスの影響も大きく受けていることがわかります。
また、「The Gardens of Willam Morris 」の前書きを書いているロイ・ストロングが「二人の若者が作るオランダの庭」が自生植物を植えた自然主義の庭で、これがモリスの運動につながると書いています。
すると、モリスから、Piet Oudolf まで、過去から未来へと、私が理想とする庭のあるべき方向性が定まるように思えてきます。
Piet さんの台詞から... (K,Takai 訳)
「私にとってガーデンデザインとは植物だけではなく、感情、雰囲気、深い思想を考えることでもあります。見えるもの以上に深みのある庭。人の遺伝子の中に組み込まれた自然、つまり自然を求める気持ちを呼び覚ます庭、人を感動させられる庭を目指のです」
(続く)
■おすすめ特集