2020.2.10 / ガーデニング(GARDENING)旅(SIGHTSEEING)
聞きしに勝る美しい世界でした。類なしと讃えられてきた日本の至宝、桂離宮。
建築もさることながら、庭。庭の石の配列を愛でながら、一歩一歩リズミカルに歩むだけでも快楽あり。
非常にランダムで不思議な配列に見えるのに。見た目は歩きそうとは言えないのですが。
わりに歩きやすい。近代の飛び石に比べても歩きやすい。石を選ぶのに大変な時間をかけたことと察する。
......で、素朴な質問です。
「そもそも桂離宮はどなたがデザインをされたのでしょうか?」
そのことに関しては「正確なことは、わかっていない」と、されています。
建築家の友人は単純に「ブルーノ・タウトが絶賛したように、小堀遠州が全てを設計したとはいえず、でも、まったくしなかったともいえず、確実なことは、エグゼクティブ・プロデューサーは、八条宮 智仁、智忠 両親王だったとは、いえるんじゃないの?」そんな緩い返事をされてもと、思っていましたが.
...どなたの説を信じるか。
ここに、手元に置いて、ずうっと大切にしてきた本があります。
私が所蔵している本の中で、もっとも古い本。30年近く前に父が亡くなった後も、本棚の常々目に入るに位置にあった。要するに実家から今の私の書斎まで、80年近く、所持し続けた本です!だからシミはゆるされて。
父の遺品のほとんどの、建築と美術書のみを50冊ほど残してあるなかでも、いちばんの本です。
去年出版されたTHE STORY OF GARDENING の上に重ねてみた。
もちろん、Piet Oudolf さんの本も日々常々目に入れる。そこで、新旧幅広い価値観、同時に目を通しておくのはアイデアを広げる意味でも非常に効果的だと思っています。
さて、この本が印刷されたのは、昭和19年。発行が翌年の1月です。著者、建築史家の藤島亥治郎氏は1800年代の終わりの生まれ。
それでいて2000年の最初に亡くなられているので、20世紀を100年間も生きた方だ。
第二次世界大戦、終戦が昭和20年の8月ですから、この本は、まだ戦時中に発行されたことになります。
文中、ご時世で物資が不足し、印刷もままならないと書いてあり、この定価13円は、当時の価格としては、どういう金額だったか。でも、出版配給統制があった時代に、モノトーンながら、大変に写真の多い本です。
そして、この本に書いてあることが、「桂離宮 作家論」私の中の有力説となります。
やはり八条宮 智仁、智忠 両親王の見識に頼る。
文献のなかでは、殊に「庭の石を御なほしあり」とあります。
旧漢字で読みにくいところもあるのですが、小堀遠州参画は、事実あったようでもあり。それが3割だったのか7割だったのかわからないとされている。でも、桂離宮が500年間、一度も火災にあっていない事は事実のようだ。京都の町は何度も焼けているのに。守られてきたのですね。
「構成という言葉がこれほどにぴったりした建物は多くはあるまい。」
藤島亥治郎氏の熱い語りは、延々続く。「さりげないようだが、量の比例への注意がある」ブルーノ・タウト氏に絶賛されたことにも言及されているけれども、そんなに褒めなくても、最初からわかっていたよ。と、なんとなく、外国人に褒められたことからディスカバーされた至宝という見方には、ちょっと。その著者の気持ちも、いたくわかりながら読み進む。
「構成や量の比例」とは、私はコンポジションと解釈しますが、桂離宮はまさにコンポジションの美であり。
建築だけでなく、庭もそうです。写真を撮るときは、当然、コンポジションに気を配るのですが、桂離宮はどこをどう撮っても決まるし、ある意味、同じコンポジションで写真を撮るひときっと多いだろうなあ。というのも↓の写真もよく見ます。これはもちろん私が撮りましたが。
雨の日でも透水性を高めてぬかるまない構造の'霰こぼし'と呼ばれる、敷きつめられた石。タウト氏も言及していた珍しいシンメトリーの景色。あえて遠くを見せない。ここを歩くと、'霰こぼし'は、石畳なのに柔らかく、とにかく桂離宮全体の石は、複雑な飛び石さえも(わりと、思ったより全く)リズミカルに歩きやすくて驚きました。
奥に見える住吉の松は、一体何年に渡って同じようにあったのだろうか?
この500年間のなかではきっと植え替えもあったでしょう。
あ、昭和19年の本の写真は少し違いました。しかも、松が小さい。小松。とも書かれています。
今回、桂離宮の拝観前に、古い桂離宮の本の写真をいろいろ見ていました。どこをどのようなアングル(視点)でここを見るのだろうか。と。右手にあった大木は消えていたかもしれない。いずれにしても、20名程度の団体で、説明を受けながら歩くので、あまり写真を、じっくり、考えて撮る猶予はなし。
遅くなると最後列の羊追い役、皇后警察の方のプレッシャーで、じっくり見たり考えたりできないので。
しかし、良いチャンスに遭遇。'霰こぼし'の修復の場面に出くわしました。
「すみません!質問をさせてくださいまし。この50センチ四方の面積を3人で作業していらっしゃいますが、この面積を終えるのにどれくらいの時間がかかるのですか?」
「午後イチから5時くらいまでやね」うわー!やはりそうか。「お邪魔致しました。ありがとうございました。」モルタルで固定するのではなく、砂のような三和土(石灰と山砂利ににがりを合わせた)に平たい面を上にして、石の尖った方を丁重にはめこんであるだけです。桂離宮の待合にこの模型が置いてありました。
時々同じように、修復されながら500年の時が経ってきたのかと思うと気が遠くなります。
また、工芸的にも素晴らしい世界を見出します。(つづく)
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