1998年に発行されたNori & Sandora Pope たちの COLOUR by Design の本と、もう一冊今年に入って購入したナチュラリスティック・ガーデンの第一人者 Nigel Dunnett の本 。
20年以上の年月を隔てつつ、今も変わらぬ魅力を放つ、新旧の愛読書をご紹介。まずは、 COLOUR by Design から。
実は、1998年の夏、この本の著者のノリとサンドラに招かれ、ロンドンで行われた、その出版パーティに出席。もう20年以上も前のことですから、記憶に怪しい点があるのですが、ホランドパークの会場には、多くのガーデン・セレブリティの人々が集まっていました。
残念ながら、今は存命ではない方も少なからずおられた。その時、立ち話をしたのでハッキリと覚えているのは、バーンズレイ・ハウスから、ローズマリー・ヴェレーさん。
コンテンポラリィガーデンの植栽デザインに関する非常に芸術性の高い本で、写真は
クライブ・ニコルス。
同じ1998年に、私もLIFE & GARDEN というガーデン雑誌を出したので
編集長兼、ライター兼、カメラマン、イラストレータ、コーディネータ&モデルをこなしつつ
私がクライブのポートレイトを撮りました。翻訳は宮原あき子さん。
クライブは、ハドスペンガーデンの写真をたくさん撮っているので、どの写真も素晴らしくて、選ぶのが難しかったのですが(この時代はポジを見て選んだ)すばらしくオーガナイズされたクライブの自宅にある写真ストック棚からクライブと私が選んだのはこの写真でした。
色彩の庭なのに、花はわずかの、グリーンだけの写真です。しかし、この写真といい植栽といい
本質的な草花の美しさを深く愛おしみながらも計算され尽くした植栽の究極的な基本を見る思い。
質感の異なる草花 左上は、サンブカス(Sumbucus racemisa 'sutherland gold'、右奥にフェンネル、花首だけ見えるルピナス(シャンデリア)、カレックス・エラータ 'ボウルズ ゴールデン'、奥にグリーンフェンネル (Foeniculum vulgare )、手前、左はビンカ メジャー'マキュラータ'、右は、ホスタ'バクショウ・ブルー'これだけの配役でこの景色!
しかし、実際にこの眺めを前にうっとりと立ち止まって長い間眺めて心満たす観客が、日本の庭にどれほど存在するのか。同じ花が何万株も植わる眺めの方に人気の軍配があがる日本の現状にはいつも頭がいたいです。「花が咲いていない!」とひと蹴りされることもしばしばでしたから。
素晴らしい、ふたりのポートレイトから始まるイントロダクション。
ここに書かれているのが私の座右の銘?にもなっている
「庭は私たちの美学の生活と密接に絡み合っている」の原点が書かれています。
イントロだけ、個人的に、プロの翻訳家になる前の友人にお願いした基本の訳の一部分をご紹介します。
この本は私たち夫婦が色彩で庭を作っていった方法と理由を紹介したもので、「どうやって庭を作ったか」ということではない。つまり、表現手段としての庭の追求について述べたものである。私たちの庭はまさに私たちそのものを映し出したものであり、私たちがどう自然界と関わっているかを表したものである。いうなれば、それは私たちの美学の生活と密接に絡み合っている。
私たちの庭は、決して安いメンテナンスとか、倹約の事柄には言及しない。
今ほど庭を作るのに絶好の時はない。植物学者、プラントハンター、育種家によってガーデニング業界に供給されるおびただしい植物の量、知識も期待も広げる教育。コミュニケーション、旅行。この執筆を通して、私たちのガーデニング哲学や技術をお話しし、皆さんにヒントを与えられればと思う。
ウイリアム・ロビンソンは1883年の著書「The English Flower Garden and Home Grounds」で、こう記した。
「庭のアレンジでもっとも重要な点は、色の効果に沿って花を配置していくことである」。
あまりにも多くの場合、無計画に植物を植えたり、たとえ何か意図があっても、花壇でよく見られるように、もっとも激しいコントラストで可能な限りの数植え込んだりする。
その結果、コントラストがきつすぎたり、けばけばしかったり下品だったりする。
花の混在するボーダーでは、ふつう単色か均等に色配分されたケースが見られるが、見飽きたりいらいらしたりして、最高の材料の使い方を誤ったために、いかに効果が得られなかったか示すことになる。
庭を作ることは、絵を描くことだということを覚えていて欲しい。
インチ単位ではなく、何百フィート・ヤードのキャンパスに生きた花で描いた絵を、外の日中の光のもとで見る。
だから、我々は花の美しさと太陽の光のためにもきちんと絵を描くべきであり、それらを使う画家として、慎重にあらかじめから配慮し入念に配色すべきである。
コントラストより調和、豊かで艶やかな色のすばらしいハーモニー、そういったハーモニーが適度に続いていくこと、これがルールである。
色は私たちを取り囲んでいる。困惑させるときもある。純色でも混合色でもこれほどまで広範囲に渡ってバリエーションある色が、塗料でも生地でも、そして植物でも至る所で使えるときはかつてなかった。見回すと、しばしば色相が微妙な色の大きなかたまりが看板、車、庭などあらゆる場所でごちゃごちゃに混じり合っている。いわゆる色の「ノイズ」の不協和音。一番いい形で色を使いたいという熱い思いは、それが知覚と感情にいかに効果的かという感動を伴って、ハドスペンガーデンのデザインの基本となっている。
何世紀にも渡って、人々は色の使い方を系統立てようと試みてきた。色の認識は光のphysicに結びつける試みにおいて、複合の配置がわかってきた。科学者たちを始め、人々が理解を深めるにつれ、光の波自体には色はなく、その色は脳にで生まれ、目で識別されることがわかり始めた。偉大なドイツの詩人ゲーテは、純色の青が音符の真ん中より下のGを表すという風にまで、音楽の波長を色の波長に関係づけようとした。この考え方は、非常に私たちの興味をそそるが、本質的な知覚の方に大きく気を置いている。
可視光線の知覚を表す手段としてもっとも広く使われているものの一つがもっとも簡潔な形での色相環である。伝統的に虹の七色--赤、橙、黄、緑、青、藍、紫のまとまりに分けられている。これは最初、数学者のサー・アイサック・ニュートンが、1672年「光と色に関する新理論」を」王立協会に発表したここで紹介された。そこで、実験中にプリズムを通り抜ける太陽光線が虹のような色の縞を作り出すことに気づいた。天地創造の七日、七つのわかっている惑星、音の七音階という風に、ニュートンの時代に何ごとも一つのまとまりを考えるときの理論によく一致していたけれども、この七色に分かれる縞というのはまったく勝手に決められた(恣意的な)ものだった。
...ここで翻訳は途切れたまま、20年が経ってしまいました。
が、今年、2019年、この文章を著したノリ・ポープさんは天国に逝かれそして、あのハドスペンは、今年8月、The Newt Somerset という名のホテル&ガーデンとして再生しました。
私はどうしても今年中にこの庭を見ておきたいと思い、矢も楯もたまらずイギリス行きの切符を手に入れ、賛同者も数名一緒に、年内、サマセットへ。
行ったら胸が締め付けられるだろうけれども、これで同時に過去とのけりをつけたいと思う。
この場合の「けり」とは、英語にすると sort things out であって、finish ではありません。
左、BISES誌の別冊も美しい写真で素晴らしいイングリッシュガーデンを紹介しています。
私は、自分の中の最高峰の庭として、在りし日のハドスペンをあげました。
そして、次世代がまた次の世界を表現していく。そのことにも期待があります。
続く
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