一般的に寝具に使われているポリエステル硬わたは、横に積み重なっているため、上下の圧力に対しては、面でしか対応ができませんでした。
帝人ファイバーの開発したV-Lap(R)は特殊な機械をつかって、縦型にわたを積層します。そのため、上下方向の圧力に対しては点で対応でき、さらに通気性もアップ。寝具に最適な素材です。
このV-Lap(R)は兵庫県加古川市にある工場で製造されます。
しかしこのV-Lap(R)は、生産構造上一定の厚み以上にはできないので、敷き寝具用の厚みにはちょっと足りません。それを解決する鍵は、次の場所「山口県防府」にありました。
山口へと運ばれてきたV-Lap(R)は、ここで厚みとさらなる耐久性を得るために、横構造わたのファイバークッション(R)と一体化され、軽くて丈夫なソフレスト(R)のマットレスになります。その行程は企業秘密で詳しくはお話できませんが、実は、熟練職人の「手作業」が大きなポイントになっています。それゆえ、大量生産ができない、価値ある一品といえます。ちなみに手作業した後に、ここにしかない大きな機械に入れるのですが、大きな釜の中にマットレスをまるまる入れるようなイメージです。
マットレスの顔である側地も、糸・生地・染色・縫製に至るまで、国内生産にこだわっています。
愛媛県の今治で、一枚一枚丁寧に縫製をしています。
安いものから高いものまで、たくさん世の中にあふれている中でこの「三河木綿 六重織りガーゼケット」をご紹介しようと思ったきっかけは、メーカー(機屋)の担当者さんの「自信」と「強いこだわり」を見たからでした。綿本来の吸湿性と柔軟性を引き出すため、安易なコストダウンに走らず、柔軟剤や余計な薬剤を使わない。
そんなこだわりから、担当者の方は「ご家庭でも柔軟剤を使わないでほしい」と訴えます。洗うほどに風合いを増し、洗うほどに柔らかくなる。余計な柔軟剤や薬剤を使わず自然のものを自然に使う。これって、エコでもあるし、自分や家族の体にもとってもいいことですよね。
日本橋界隈には今も多くの繊維や糸に関する企業がたくさんありますが、どうもそれは江戸幕府がつくられた頃に発端があるとか?
江戸へ移転する際に、徳川家康は家来だけでなく、地元の産業に携わる人々も一緒に連れて行きました。
一大産業になっていた三河の繊維業もその一つ。地元で気のおけない人々を一等地に住まわせるのは当然のこと。それがそのまま続いて、今にいたるのだとか?それくらい三河の繊維業は大きかったということですね。
「古事記」の時代から親しまれているひのきは、各地にブランド生産地が存在し、産地偽装も問題になっています。この枕に使用しているひのきの原木は高知県森林組合連合会から証明書をいただいている、正真正銘の高知県産です。
フィトンチッドとは、森林の植物・樹木が自分で作り出している揮発性物質のことです。
森林浴による爽快感はこの物質によって生まれます。
また、森の中には動物の死骸や枯れた木があるのに、イヤなにおいがしないですよね。
これもフィトンチッドの消臭・空気の浄化効果と言われています。
さらに木々は、昆虫や微生物に自分が食べられないように、殺虫殺菌効果のあるフィトンチッドを出しているのです。
ひのきにはこのフィトンチッドが多く含まれています。
昔からひのきが親しまれているのはこのような効果があることを日本人が体感的に知っているからなんですね。
枕を作るのは昭和30年から枕の製造を行う、鹿児島の株式会社丸松。
個性的な枕を多く手掛け、このひのき枕も
素材だけでなく、形状にもノウハウが詰まっています。
「ニッポン良品」で紹介しているような、材料から純国産のものや、国産の技術を活かした商品に興味を持ったのは、
とあるお取引先での商談がきっかけでした。
2011年度から養蚕に対する政府からの助成金が打ち切られ、日本の養蚕業が危機に面しているというお話でした。
日本の養蚕業は稲作や機織りと同様に、神話の時代から続く伝統産業で、鎖国からの開国や戦後、何の資源もない日本を支えてきた産業です。
それなのに、安い輸入糸に押され、着物の需要も減退し、衰退していった。そんな産業がそのままなくなろうとしている。
そうさせないために、着物問屋や布団メーカーなどが力を合わせて、日本の養蚕業を守るために、連携している、
というお話だったと思います。
この話を伺ったときに、少し前に小麦の値段が上がったり、バターの値段が上がったことを思い出しました。
今や日本はあらゆるものを輸入に頼っているのに、輸出してくれる国が売ってくれなくなったり、
突然値上げを要求してきたらどうするんだろう、と思ったのです。
その後に綿花が暴騰したり、原油価格や羽毛の価格が上がったりで、商品を企画するのも本当に難しくなりました。
少し話が逸れましたが、養蚕のような日本の伝統産業や技術を守るために、我々も微力ながら、そういう商品を紹介する
ことによって何とかお役に立ちたいと考えていました。
その矢先に、2011年3月、東日本大震災が起こり、日本の経済は大打撃を受けてしまいました。
今こそニッポンの頑張っている生産者の顔が見える商品を、これからも引き続き紹介していき、微力ながら日本の生産者を応援したいと思います。